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「江戸の仇を長崎で討つ」とは、意外な場所とか全然筋違いのことで、昔の受けた恨みの仕返しをすることのたとえに使われ、また、関係のない者を討って気を晴らすことのたとえになったりもします。もともとは「江戸の仇を長崎が討つ」というのが正しいそうです。 一説には、大阪の見世物師が大規模な竹細工を作って興行して人気を博していたため、江戸の見世物師、それに対抗するものを作ったが、大阪側に負けてしまったということです。 それと同じころ、長崎からギヤマン細工の大燈籠とオランダ船の見世物が立ちましたが、とくにオランダ船の機械仕掛けで大掛かりであったため、大阪の見世物以上の人気を博したとのことです。 このように、江戸の見世物を負かした大阪の見世物も、長崎のギヤマン細工に及ばなかったようで、「江戸の仇を長崎が討つ」はこれから言われだしたとのことです。 時代とともにその由来が忘れられて、いつしか「江戸」「長崎」という地名だけから、「長崎で討つ」に変わったとされています。 |
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