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★ まげのルーツは貴族の髪型だった 「まげ」は武士のものというイメージを持つ方は多いと思いますが、意外にもそのルーツは飛鳥〜平安時代の貴族にあります。 飛鳥時代に中国から冠を被る文化が伝わると、貴族を中心に冠や烏帽子(えぼし)を被ることが一般的になりました。 この冠や烏帽子を頭に固定するために、特徴的な髪型が登場します。それは、伸ばした髪をひとつにまとめて、頭の上に向けてゆったもの。ここに冠や烏帽子を被せて固定したのです。 この結った髪の束を「もとどり」といい、もとどりのある髪型を「まげ」を呼ぶようになりました。 ちなみに、当時は冠を人前で外すのは裸を見られるくらい恥ずかしいことだと考えられていたそうです。 平安時代以降、頭に被りものをする文化は武士や都に住む町人にも広まり、まげも当たり前のものになってきました。 ★ 戦国武将のまげは「ちょんまげ」ではない まげと聞くと、左右と後頭部の髪だけを残して頭を青々と剃ったヘアスタイルを創造する人も多いでしょう。この剃り上げた部分は「さかやき」といい、実用的な理由のあるスタイルです。 武士の場合、戦場では兜を被っていました。そのため、頭髪を伸ばしとどうしても蒸れてしまいます。そこで、蒸れないように「もとどり」の部分を残して、前頭部から頭頂部の髪を剃ったのです。 ところで、まげ全般を指す呼び名として「ちょんまげ」という言葉を耳にしますが、これは正確ではありません。ちょんまげは江戸時代に髪の少ない老人が結った小ぶりなまげを指す言葉です。 |
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