日常生活の何気ない習慣や出来事を見渡すと、さまざまな素朴で不思議な疑問が起こり、「なぜ、どうして?」と。その謎を解き明かします

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空海と最澄は同時代の人なのに、どうして別々の道を歩んだの?


真言宗開祖の空海と天台宗開祖の最澄を比較すると、空海はそのキャラクターが愛されるのか、何度も映画化されています。一方、最澄はおそらく一度も映画の主人公になっていなかったように記憶しています。

★空海より7歳年上でもある最澄は、エリート僧侶として一目置かれる存在でした。二人は一緒に中国に渡ったが、すでに仏教界のスターだった最澄は国費で、空海は私費。置かれた立場はまったく異なっていました。



その後、空海は20年間の留学期間を2年で切り上げて無断で帰国し、罪に問われるところ(場合によっては死罪)、最澄のとりなしもあっておとがめなしですんでいます。

このように帰国当初は仲のよかった二人でしたが、その間柄に亀裂が入るのは、最澄が空海の弟子になってからである。留学前は最澄が上の立場だったが、空海は唐に滞在したわずか2年間で「密教」をマスターした天才だった。密教とは読んで字のごとく秘密仏教。1年間の限定留学しか許されなかった最澄には密教を学ぶ時間はまったくなかった。そこで空海に頭を下げて、弟子入りして教えを請うたのであります。

★やがて、密教の教義の解釈の違いから二人の間には溝ができ始めた。空海が密教経典の貸与を願った最澄の依頼を断ったのがきっかけです。

空海にしてみれば、密教は書物を読むだけでは会得できないと考えていた。そこで「体験することが大切」と、最澄にじかに教えを請うように求めたのです。

空海の言うことはもっともでしたが、最澄は天台宗のトップであり、多忙な毎日を過ごしていた。空海のもとに出向くのは無理な注文だった。こうしてボタンを掛け違えるように二人の仲は疎遠になってしまい、決別の日がやってきます。

密教を学ばせるために空海のもとに送っていた、最澄の愛弟子の泰範が空海に正式に弟子入りを願ったことにより、二人の仲はついて決裂した。

平安時代を代表する空海と最澄は、こうして別々の道を歩むようになったのです。






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