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日本で有名な俳人といえば、江戸時代では松尾芭蕉に与謝蕪村、小林一茶でしょう。近代に入ってからは、正岡子規、高浜虚子、種田山頭火と、何人も挙げることができます。 一方、川柳の詠み手といっても、特定の人物を思いつかないのではないでしょうか。第一生命保険の企画イベント「サラリーマン川柳」が頭に浮かぶ程度でしょう。 なぜ俳句には有名な詠み手がたくさんいるのに、川柳にはいないのでしょうか。俳句と川柳の違いにその答えがあるようです。 連歌というのは、参加者が和歌の上の句(「五・七・五」という前半の3句)を詠み、次に別の参加者が下の句(「七・七」という後半の2句)を交互に詠んでいくゲームのようなものです。 ★俳句は、この連歌で詠まれる上の句が独立したもので、川柳は参加者が先に下の句に対して上の句をつける「付け句」というゲームから生まれました。 このように、生まれはどちらも連歌でしたが、「俳句」と「川柳」はその後、別の道を歩むことになりました。 その理由は「縛り」、つまり「ルール」があることです。 俳句には季語が必要で、文語体で詠み、「や」「かな」「けり」といった「切れ字」(言い切るための言葉)を入れるというルールに縛られていました。一方、川柳は季語もいらず、口語体で詠んでもかまわないとされました。 また、俳句が四季や自然といったものを題材にする一方、川柳は社会風刺などを題材に選びました。テーマの違いから、俳句を作ることは「詠む」「詠ずる」と言い、川柳を作ることは「吐く」「ものす」などと表現するようになりました。 貴族や武士の素養だった和歌とは異なり、本来、言葉遊びとして大流行した俳句と川柳でしたが、皮肉にも俳句を縛っていたルールが俳句を高尚な文学に高め、結果的に川柳と差別化されていったのです。 こうして川柳が体制批判などで庶民に愛されるようになる一方、俳句は文学となって有名な文化人を多数輩出してきました。 |
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