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そば屋の屋号には「利休庵」「長寿庵」「明月庵」など「庵」のつくものが多いですが、これにははっきりした理由があるようです。 話は江戸時代にさかのぼりますが、浅草の吉原近くに、浄土宗の称往院(しょうおういん)という寺があり、ここの境内に「道光庵(どうこうあん)」という塔頭(たっちゅう)があり、そこの管理人は、そばどころ信州(長野)の出身でそば打ち名人だったそうです。 時間に余裕ができるとそばを打って食べていましたが、やがて一人で食べきれないので、参拝者にそばを振舞うようになったといいます。 もともとそば打ちの名人だから、まずいわけがなく、しかも江戸っ子は美食家が多かったから、 ★「称往院の道光庵で振舞われるそばが絶品だ」という噂があっという間に広まり、そば目当てに称往院を訪れる者たちばかりとなってしまったようです。 このことに腹を立てた称往院の住職は、「境内でそば打ちを禁止する」と管理人に言い渡したが、管理人としては遠路はるばるやって来た人たちに「そばは出せません」とは言いにくく、そこで、こっそりそばを振舞い続けましたが、長い行列ができたものですから、すぐにばれてしまいました。 住職は、激怒して門前に「不許蕎麦」と彫り込んだ石碑を建て、そば目当ての連中が境内に立ち入るのを禁じてしまったようです。 うまいと評判の道光庵のそばが食べられず、がっかりして帰ろうとする人たちが多いことに目をつけたのが、称往院門前に店を構えていたあるそば屋の主人だった。 ★道光庵の「庵」を屋号につけたところ、道光庵の出店や移転先と勘違いしたのか、客たちが殺到したということです。そして、この話を聞いた他のそば屋も、屋号に「庵」をつけるようになったといいます。 |
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