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尾頭(おかしら)つきの船盛りのような盛り付けをも見ると、お造りは刺身に比べて豪華なイメージがあります。 ★ですが、お造りと刺身に違いはありません。どちらも生の魚の切り身を食べるための調理方法なのです。 では、なぜ二種類の呼び名ができたのでしょうか。 その理由は、江戸時代に関東で生まれた新しい調味料「醤油」にありました。 江戸時代の中期を過ぎると、京都や大阪の醤油の生産地が衰退して、関東での醤油醸造が盛んになりました。利根川や江戸川の水利、関東平野に育つ良質の大豆・小麦は醤油の生産量の増大に追い風になったのです。 生産地が変われば、味も変わってきます。関西では薄口が好まれましたが、関東では濃い味が好まれ、現在の「濃口醤油」のような醤油が生まれました。「薄口醤油」に比べて香りがいいため、肴の臭みを消す調味料として、刺身とよくマッチしたということです。 醤油か新しい食文化を生んだわけですが、生の魚の調理法の刺身という呼び名は、武家社会に由来しています。 料理においても当時の権力者である武士に配慮した例は多く、鰻のさばき方などは有名な話です。関東は背中から、関西では腹から、と調理法が異なっています。「腹切り」こと「切腹」を嫌がる武士の作法にかかわっているのは、言うまでもありません。 ★刺身も鰻と同様、武士が「切る」という言葉を忌み嫌ったため、「刺す」になったといわれています。さらに、関西では、「刺す」という言葉もあまりいいイメージではないので、「造り」になったといいます。 「お」がつくのは宮中に仕える女官たちが使った女房言葉の名残りという説もあります。 ただし、実際には刺身を「指身」などと記した室町時代の資料もあるようです。また、里山をイメージするように盛り付けたから、お造りを「造里」と表現したという説もあるから、語源の定説は今のところないです。 |
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